エーブックが愛知県にあるということからかでしょうか、愛知機械工業が1960年代後半に発売していたコニーやニューマイティなどのカタログがよく入荷いたします。
先日も浜松市で大量にお譲り頂いた旧車カタログの中に入っていました。
愛知機械工業の自動車製造(Chat GPT 4.0まとめ)
愛知機械工業株式会社は、かつて自動車の製造と販売にも積極的に関わっていましたが、時間が経つにつれてその焦点が変わり、現在は主にエンジンやトランスミッションの製造に特化しています。以下は、愛知機械工業の自動車製造と販売の歴史についての概要です。
初期の自動車製造
- 1946年以降:愛知機械工業は「ヂャイアント」や「コニー」という商品名でオート三輪や軽商用車を製造。これらは水冷エンジンや全天候型キャビンなど、当時としては革新的な特徴を持っていました。
販売と市場挑戦
- 1961年:全日本自動車ショーにて試作軽乗用車「コニー・360コーチ」を出品。
- 1962年:超小型車「コニー・グッピー」を発売も、販売は予想を大きく下回り、1.4億円の営業赤字を計上。
日産自動車との技術提携
- 1962年:日産自動車と技術提携を結び、後に業務提携へと進展。
- 1965年:日産出身の堀庫治郎が社長に就任。この時点で日産は愛知機械の筆頭株主に。
自動車生産からの撤退
- 1970年10月:自社ブランドでの自動車生産から撤退し、特別損失40億6800万円を計上。これにより社長が引責辞任。
- 販売系列の変更:愛知機械工業の販売系列であった「日産・コニー店」は、「日産チェリー○○販売」へと社名変更され、「日産・チェリー店」に変更。
事業の転換
- 1999年:車両事業の継続が困難となり、車両生産からの撤退を発表。2001年には港工場が閉鎖され、エンジン・トランスミッションの生産専業に。
- 現在:エンジンとトランスミッションの生産に特化し、日産を含む他メーカーに供給を続けています。
愛知機械工業の自動車製造と販売の歴史は、一時期は独自ブランドでの市場挑戦が見られましたが、経営困難を経て、製品の焦点を変更し、エンジンやトランスミッションの専門メーカーへとシフトしました。この変化は、企業の持続可能性と成長に大きく寄与しています。