【出張買取】1970年・1971年の『別冊少年マガジン』!池上遼一版スパイダーマンほか名作ぞろい

  • 愛知県名古屋市熱田区
  • 出張買取
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エーブック店長よりコメント

1970年、1971年の『別冊少年マガジン』をお譲りいただきました。

1964年に季刊誌として産声を上げた『別冊少年マガジン』は、1969年に月刊化(誌名は「月刊別冊少年マガジン」)されました。月刊になったことで、毎号およそ400ページ前後という分厚い“読み切り大全”となり、100ページ級の長編や実験色の強い読切を大量に抱え込める器になりました。この月刊期の最盛期が1970〜71年で、そののち1972年に隔月刊へと移行1975年に誌名を『月刊少年マガジン』へと改称する流れにつながります。

『別冊少年マガジン』には、次のような意味合いがありました。

  • 長編読切を一気に読ませる舞台(100ページ読切が一晩で完結)。

  • 週刊誌では躊躇されたシリアス/ダーク路線・社会派・劇画的表現の実験室。

  • 若手から大御所まで“作家主導”で描ける自由度の高さ

特に人気が高かった作品は、『スパイダーマン』です。

今回お譲りいただいた中では、1970年11月号、1971年5月号が表紙&巻頭特集となっています。

少年マガジン別冊

別冊少年マガジンスパイダーマン表紙

アメコミ初の本格的日本翻案。原作を大胆に改変したハードボイルド路線と、池上遼一の劇画タッチが話題を呼び、巻頭カラーや特集ページも組まれる看板連載でした。

各号に100ページ掲載があったということで、読み応えも十分です。

その他に今回お譲りいただいたのは、1971年6月号

表紙はジョージ秋山の『ほらふきドンドン』の主人公・丼鈍心和尚

法螺話で人を煙に巻く破天荒なお坊さんで、作中でも豪快に「はははは」と笑うカットが印象的でした。

 

個人的にこの年代の漫画雑誌が入荷した時に、いつも楽しみにしているのが裏表紙の広告です。

当時、子供だった自分の物欲を掻き立てた商品の掲載が、今見てもときめくんですよね。

この『別冊少年マガジン』には、『宇宙猿人ゴリ』のアオシマから発売されていたおもちゃ(…まだ『スペクトルマン』ではなく『宇宙猿人ゴリ』というタイトルだったんですね…)や、スポーツサイクリングカーの広告が載っています。

アオシマが自転車を発売していたんですね。スポーツサイクリングカーは、友達の多くが乗っていましたが、私は買ってもらえませんでした。

…なんてことを思い出しました。

ブルマアクのライフルのおもちゃ?

これは私の年代よりも少し上の世代で流行ったものなのでしょうか。正直、記憶にはありません。

ずばり世代ど真ん中の漫画雑誌が入荷すると楽しくて、ついつい時間がかかってしまうのが玉に瑕です。

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