- 愛知県名古屋市中区
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エーブック店長よりコメント
昨年お譲りいただいた昭和20年代の漫画雑誌、児童書のコレクションを紹介させて頂いています。
今回は酒井七馬の「ビックリ坊や」。
AIにまとめてもらった酒井七馬の活躍は以下の通りです。
酒井七馬(1905-1969)は、日本の漫画家、アニメーター、紙芝居作家、絵物語作家、編集者として、多岐にわたる分野で活動しました。彼は大阪府で生まれ、1920年に旧制中学を中退後、漫画の道に進みました。1923年には大阪の漫画雑誌「大阪パック」で小寺鳩甫に師事し、編集と漫画制作を手掛けました。1929年からは大阪新聞の漫画記者として活動し、カットや漫画の制作に携わりました。1935年には日活京都漫画部に入社し、アニメーターとして活動を開始します。ここではトーキー漫画映画『島の娘』や『忍術火の玉小僧』シリーズなどに参加し、アニメーション制作の技術を磨きました。
戦後の1947年、酒井は手塚治虫と共作した『新宝島』で一躍有名になります。この作品は、日本の漫画史において重要な転機を迎えたもので、映画的な表現方法を取り入れた斬新なスタイルが話題を呼び、大ヒットを記録しました。この「映画的表現」は、酒井が元アニメーターであったことが大きく影響していると考えられています。しかし、出版当初の著者表記に手塚の名前がなかったことから、両者の関係は微妙なものとなり、その後二人が共同で作品を制作することはありませんでした。
『新宝島』の成功に伴い、赤本漫画の出版ブームが到来し、酒井も1947年から1949年にかけて多数の赤本漫画を発表しました。しかし、1950年以降は紙芝居作家へと転身し、左久良五郎の名で数多くの作品を手掛けました。彼の紙芝居作品には、『鞍馬小天狗』や『少年ローン・レンジャー』などのヒット作があり、これらの作品は当時の子供たちに広く親しまれました。また、彼は松竹新喜劇の芝居看板も手掛け、さらにその才能を広げていきました。
晩年になると、テレビの普及に伴い紙芝居の需要が減少しましたが、酒井は再びアニメーションの世界に戻り、東京ムービーのテレビアニメ『オバケのQ太郎』や『ロボタン』の絵コンテを担当しました。また、若手漫画家の育成にも力を注ぎ、1967年には入門書『マンガのかき方』や『ストーリーマンガのかき方』を監修し、ジュンマンガ・サークルの結成を構想しました。彼は1968年12月には機関誌『ジュンマンガ』第1号を発行し、若い漫画家たちの育成を積極的に支援しました。
手塚治虫の『新宝島』はもちろん知っていましたが、酒井七馬との共作だったことは今回調べてはじめて知りました。
見たことはあるけど目に入ってなかったんでしょうね。
こうやって貴重な書籍が入荷することで色々わかることがあっていいですね。
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